手術前のこと3️⃣
それからは指折りその日を待ち望んでおりました。
身体はもう限界をはるかに超えていました。
紹介状を書いてくれた整形外科の医師から、
「重い物は絶対に持たないで下さい。」
と釘を刺されていましたが、仕事が重症児の通所施設の保育士。
医ケアのお子さんがいらっしゃり、吸引器や呼吸器をつけて通所します。
看護師がすぐに吸引できるように保育士が児を抱え、看護師が医療物品を運びます。
移動時には一瞬呼吸器を外しますので、的確に歩調を合わせて移動しなければならず、
「私、抱えられません」なんてとても言えません。
朝、少し調子がいいなと思っても、帰りには一歩動くのも辛い時が多々ありました。
児を床から抱える時は自分の膝で体を支え、右手で児の後頭部を支え、左手で床を押さえる反発力で何とか立ち上がれていました。
どんどん左大腿骨の骨頭は潰れて行き、左右の脚長差が2センチに広がり、とても歩きづらくなっていました。
台所の調理は常に片足立ちで行っている様なもの。
丈夫な右足の膝も腫れて痛み出していました。
それでも毎朝、家族が玄関まで見送ってくれました。
「あともう少しだからね。」
そんな励ましが何よりも嬉しかったです❤️
3月15日初診で診ていただき、骨頭壊死ではなく、
変形性股関節症とすぐに診断がつきました。
それから手術日がトントン拍子に決まり、
漸く光が差してきたのでした。